「お金」「コロナウイルス」:たがしゅう哲学カフェ in 調布〜前編〜

2020/03/08 07:00:01 | たがしゅう哲学カフェ | コメント:0件

去る2020年3月7日、調布で行いました「たがしゅう哲学カフェ」。

この新型コロナウイルスの騒動の中にも関わらず、6名もの参加者に集まって頂き、哲学対話を楽しむことができました。

この状況の中にも関わらず、開催を決断してくださった低糖質おやつのお店「しまねこや」の店主、遠藤さんには心から感謝の気持ちでいっぱいでした。

その決断のおかげで、貴重な対話ができたと感じましたので、記憶の新しいうちに記事にしておきたいと思います。

なお、いつもは対話をレコーダーに録音して、参加者の皆様の許可のもと、YouTubeに動画を上げているのですが、

こんな時に限ってレコーダーを持ってくるのを忘れるという失態をしでかしてしまいました。

いや、でもレコーダーを忘れて参加者が変なプレッシャーを感じなかったからこそ、貴重な対話になったのかもしれません。 今回のもともとのテーマは「お金」ということでしたが、

おそらく皆さんの現在の関心事であろう「コロナウイルス」についてから対話を始めることにいたしました。

この騒動の中にあって参加して下さった皆様なので、少なくとも過度な心配はしていなかったことと、

それぞれに熟考されるタイプの方々だったので、「コロナウイルス」について冷静に捉えて対話ができたように感じました。

もっとも焦点となったのは、この一連の新型コロナウイルス騒動のトリガーとなっているものの正体は何なのか、ということです。

現在この「新型コロナウイルス」は未知でどこに潜んでいるかわからない恐怖の病原体という扱われ方をされていることが多く、

だいたい8割の人が、このいわゆる常識的な考え方に従って行動し、

残りの2割の人がこの状況をおかしいと感じて何かしらの疑問を持ったり、行動を起こしたりしているという分析を行いました。

これは自然界の集団の特性を表すパレートの法則の亜型の「2:8の法則」を現状様々な人達と関わって感じた経験を当てはめて行った分析です。

ところが、普通ならば2割の疑問を感じて変革を起こそうという集団が、

今回の「コロナウイルス騒動」においてはどれだけ声を上げても全く声がかき消されてしまい、

実質的に8割の集団感情が10割の影響力を示して世の中が動いているかのような状況にあるように思えるという意見が述べられました。

このウイルスがどれだけ軽症で自身の免疫力で排除されうる対象だと述べたところで、

全国は一斉休校し、各種イベントは軒並み中止となり、観光業は衰退、消費活動も落ち込み社会は全体的に萎縮の方向へと確実に進んでいます。

マスコミは不安を煽る報道を正義感を持って繰り返し続けるし、加えてSNSの影響でこれらの不安は一気に拡散する環境が出来上がってしまいました。

その早さたるやトイレットペーパーがなくなるというデマ情報によって、市場から一気にトイレットペーパーが消えた現象から見てもうかがうことができます。

2002年にもSARSと名付けられた新型コロナウイルスが中国でパンデミックを起こしましたが、その時でもここまでの不安情報の拡散、社会構造の変容はなかったはずです。

8割の常識的感覚者が全体を構成し、2割の変革者がその常識を変えようと活動する構造は今までも至る所でありました。

私が推奨する糖質制限食も2割の理解者が、8割の常識的なカロリー制限体制に抗っている構造があると思います。

しかし今回の「新型コロナウイルス騒動」のような「8割の常識的集団の10割化」とでも呼べるような現象までは起こっていません。

一体何がその「10割化」という現象を引き起こしているのでしょうか。

ある参加者の方は、もしかしたらこの現象は戦争に向かって突き進んでいた戦前の日本の国民感情にも近いものがあるかもしれないと述べられました。

確かにあの時代は聞き及んでいる限りでは、ほぼ全ての国民が愛国心を誇りに持って「勝てば官軍」の精神で全力で戦争に力を注いでいたように思えます。

中にはその流れをおかしいと感じていた人もいたでしょうけれど、そのような意見を言えるような空気ではなかったでしょうし、

言えばどんな処罰を受けていたかどうかもわからなかったであろう時代です。

メディアも未熟でSNSなどなかった時代ですが、構造的には今の「新型コロナウイルス騒動」と同様の「8割の10割化現象」が起こっているように思えます。

となると、一体何が「10割化」の本質的な原因なのでしょうか。

一つには情報の伝達が歪んでいるという要素が考えられます。

即ち戦前であれば「戦争万歳」という価値観、現在なら「恐怖の新型ウイルス」という価値観です。

本来であれば「戦争はよくない」とか、「ウイルスは自然の一部」という価値観があってもおかしくないわけですが、

まずそれらの情報が戦前は情報源の限局化、現在は情報源の早期拡散という異なる仕組みによって、

結果的に全国に歪んだ価値観を行き渡らせることに成功することができていることがまず大きいように思います。

ただそれだけなら戦前はともかく、現在ならば反対意見や異なる意見だって容易に拡散しうる状況にあるわけなので、「2:8」の均衡は保たれて然るべきはずなのですが、

何故か現実はそれらの意見はかき消されて抵抗勢力が機能せずにどんどんまるで世論の10割が常識的な価値観かのごとく流れが動いていっています。

何がその「10割化」のトリガーとなっているのかということを考えた時に「恐怖」というのが一つのキーワードになっているのでは、という意見が挙がりました。

戦争にしても、ウイルスにしても、情報の歪曲の有無に関わらず、多くの人々の「恐怖」という感情にアプローチできた時に、

「8割の10割化現象」のトリガーとなりうるのかもしれない、ということでした。

確かに「恐怖」は人の冷静さを失わせる大きな要素だと思います。

新型ウイルスも未知だからこそ「恐怖」が引き起こされるし、人はわからないものに「恐怖」を感じ、常識的な価値観にすがろうとする気持ちを増強させても不思議ではありません。

この「8割の10割化現象」が一度起こってしまうと、歴史が物語っているように誰にも止められない大きなうねりとなります。

従って、おそらくこの「新型コロナウイルス騒動」も、誰にも止められることなく、行き着くところまで行き切ることでしょう。

例えば、政府の権力者が「このウイルスは自然に発生しうる風邪ウイルスの一つで、過剰に不安になる必要なし!今まで通りの社会活動を送って下さい!」などと宣言する未来は十中八九来ることはないでしょう。

そんなことを言って、もしも何か起こった時の「恐怖」に立場ある人間が耐えられるはずがないからです。実際そうなのかもしれないとしてもです。

ということはこの騒動は引き続き感染者探しが延々と続き、社会活動が抑制され続け、春が来て風邪ウイルスが自然と減少してきて、頑張って検査しても「新型コロナウイルス」の陽性者が出なくなってきて、

WHO辺りが「新型コロナウイルス終息宣言」を出してようやく収まっていくという所までは確実に続くことでしょう。

ちなみに2002年11月発覚のSARSウイルスの際には終息宣言が出たのは2003年7月です。そう考えると今回の騒動がどれほど社会に深刻な影響を与えることになるのでしょうか。

そこまで分かっていても、「8割の10割化現象」に至ってしまった以上、この流れは誰にも止めることができないのです。非常に苦々しい思いがします。

それでもこの現象について哲学対話で理解を深めていくことには大きな意味があると思っています。なぜならば今回の社会のうねりを止めることは無理だとしても、

この現象の構造を深く分析することによって、次にまた起こるであろう「恐怖」に絡んだ同様の「8割の10割化現象」を予防することならばできるかもしれないからです。

どうすれば次の「10割化現象」を防ぐことができるでしょうか。

長くなりそうなので、ここで一回切って次回の記事で続けたいと思います。


たがしゅう
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する