患者が主体的でなくともよい時

2018/05/30 00:00:01 | 主体的医療 | コメント:0件

大井先生の資料には次のようなことも書かれていました。

(以下、引用)

【医師が患者に説明をしなくても許される場合】

①救命処置など、緊急事態の場合
②医療行為のリスクが小さく、且つその行為が普遍的に周知されている場合
③患者がリスクのあることを理解した上で、リスクについて知ることを希望せず、説明しないでほしいと依頼した場合
④リスク情報により、患者が合理的な判断ができなくなるほど混乱することが予想される客観的証拠のある場合

(引用、ここまで)

確かに脳卒中や心筋梗塞など、救命処置が必要な場合は、

主体的医療がどうのこうのと言っている場合ではありませんし、同意を取っている暇もありません。

医師の独断で目の前の命を救うことが最優先にされる状況だと思います。

医師が独断で判断して医療行為を行うのは、先日考察した主体的医療を考える上での4つの患者のグループでいえば、

Dグループの『医師が患者にとって最良だと考える治療法を、説明や同意を経ずに決定する「医師主導・説明同意なしタイプ」 』に該当します。

Dグループは私が理想とする主体的医療から最もかけ離れた良くない医療だとのイメージがありましたが、

こう考えると必ずしもそういうわけではないことがわかります。やはりそこにはグラデーションがあるべきなのです。

つまり、基本的にはAグループの『患者が治療法を提案し、医師と相談しながら治療法を決定する「患者主導・医師パートナータイプ」 』を目指しつつ、

それが何らかの理由でうまく行かずにそのスタイルで解決しがたい課題に直面した時にはじめて、Dグループの形をとることが一つの選択肢となるということです。


それ以外の②~④に関してもDグループの医療が許容される状況ということになると思いますが、

裏を返せば「主体的医療」を提供しなくてよい患者の条件を示しているように捉えることもできます。

「主体的医療」でなくてよい患者、それは
①命にかかわる救急患者
②リスクの低い医療行為を希望する患者
③医療行為のリスク説明を希望しない患者
④医療行為のリスク説明で混乱が予想される患者

ということになるでしょうか。

①は絶対的に主体的でなくてよい患者と言えますが、

②~④は相対的に主体的でなくてよい患者とみることもできそうです。

例えば、②のリスクの低い医療行為は、例えば、マッサージや医療体操などのことになるのかもしれませんが、

そういう医療行為に主体性を求めずとも、受け身でいた所で特段大きなトラブルも起こらないのだから別に主体的にならなくてもいいだろうという感じなのでしょう。

しかしそれでも患者自らが考えて、マッサージや医療体操を行いたいと主体的に行動するに越したことはありません。

③や④は主体的になることのリスクから逃げ続けているような患者になりますので、

それはいかに主体的医療が正しくとも、相手に不快を与える要因となってしまうので行うべきではないということでしょう。

それでも本当はそういう人にも主体的医療の良さを分かってもらえればよいのにという気持ちはぬぐうことはできません。

緊急を要する病態に発展しなくて済むように、

主体的医療をベースとしたシステムをいかに安定稼働させるかということが、

今後の大きな課題となってくるのではないかと思います。


たがしゅう
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